もし糖質を中心に食べることが、人類という種にまったくそぐわないものであれば
栄養摂取の8割強が炭水化物からであった昭和初期の人々は次々と生活習慣病を発症していただろう。
しかし生活習慣病にかかるのはかれらではなく、糖質からの栄養摂取がそこから
2割近く落ち込んだわれわれなのである。この矛盾を私たちはどう説明したらいいのだろう。

これについては第1人者の江部氏が奇しくも著書の中で明快に説明している。
明治や戦前の日本人は、総摂取カロリーの7〜8割が米飯(主に白米)だったにもかかわらず
2型糖尿病がほとんどありませんでした。当時の日本人の日常生活における運動量は
現代人の10倍近かったと思います。 結論としては、運動量が現代人くらいだと
白米を一定量以上食べると、とくに女性の場合は2型糖尿病のリスクになるということです。

つまりここから言えることは次のことではないだろうか。

現代人、特に運動量のあまりない女性が白米をたくさん食べると2型糖尿病のリスクがあがる。
白米を減らす、あるいは運動量を増やすとこのリスクを下げることができそうだ。

運動量が多ければよいのであれば、糖質がすべての元凶であるという糖質制限派の主張には
齟齬が生じてくるといえよう。

もともとそれほどご飯を食べていなかった標準体型の女性が、もっとやせたいと願って
「人間本来の食事」である糖質制限を実行することは、そもそも人間本来のあり方なのだろうか?
成長期の子どもがネットで糖質制限のことを知り、それを実行することはよりよい成長を導くのだろうか?

糖質制限が2型糖尿病の人々を超えて多くの人に受け入れられたのは、「食べたいけどやせたい」
という現代人特有の欲望をなんといっても満たしてくれたことにある。

そして、「食べたいけどやせたい」という欲望は、やせていることが評価される社会でなければ生まれえない。
食料不足の危機がある社会では、身体に脂肪を蓄えられることがステータスになるため、食べてもやせるという
現代人をひきつける糖質制限の特徴は魅力にはならないし、そのような社会では栄養不足によるやせの方が
よっぽど深刻であるからだ。

たくさんの食べ物があふれ、貧しい人でも簡単に太ることができ、やせることが無条件に美しさ、カッコよさ
聡明さ、自己管理能力の高さと結びつく、人類史稀に見る社会状況にフィットすることにより糖質制限はブームになった。

しかしその事実は、生理学的な説明と、原始への憧れにより巧みに覆い隠されている。
糖質制限はほんとうに「人類の健康食」なのだろうか?
それは限られた時代の、限られた地域の、限られた人々にとっての健康食ということはないだろうか?

普遍化の裏側にあるものは、現代社会のきわめて特殊な価値観と構造であることに目を向けて
いまいちど糖質制限の功罪を考えてみたい。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49908?page=3


私自身は糖質制限しながら痩せを維持していても楽しくないので基本的にやりたくない
と思っています。どちらかというとアンチですが、まあ普通に現代のように摂りすぎてる
のはよくないから適正にコントロールすべきだとは思ってる。

確かに糖質以外は食事の制限がないので取り組みやすい食事改善法の一つだと思いますけど
実行すると単純に食事の満足度が下がるのでつまらない。そこまでして痩せを維持すること
に魅力を感じない。人間が本来欲してきた糖質を全否定する考えはあまり同意できないとい
うような理由。基本的に楽しくないことは人生でやりたくないと思ってるので、食事に極端な
制限は馬鹿らしいと思っています。

糖質っていくら体に悪いと言われようが適度に摂っているぐらいでは問題ないと思ってる
ところはあります。それは医学的に正しいのか正しくないのかはいろんな意見の人がいて
正直どっちが正しいのかわからないので、自分が納得いく考えの方を支持しているだけです。
人生のプライオリティと食事の満足度とただ単に嗜好の問題と。
いろいろバランスとった結果が糖質制限食はやらないという方向になっただけ。
適度にとれれば十分という考え。あなたはどうですか?